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    Give & Take  (no 91.5月7日)

    投稿日:2014年5月7日

     3ヶ月ぶりにオリンピック評論から解放され、改めて世間の風を感じてみました。

    相変わらず、日本はおろか世界中で、様々な争いが継続して発生していました。

    しかし、変化を期待した浦島太郎だった筈が、世間の本質は何も変わらず、

    相も変わらず、人種・宗教・国家間の紛争が続いていました。

    しかも、やっかいな事に同じグループ(人種・宗教・国家)内での所得の格差が、より問題を複雑にしているようです。

     

    今回は所得の格差について考えてみました。

    まず、人間と動物達との違いを、「give &  take」基準で見てみます。

    動物達は、親鳥が餌をとって雛に与えるように、題目とは逆の「take & give」でないと生き残りが出来ません。

    Takeこそが生き残るための、絶対先行行動なのです。まず、take ありきです。

    しかし、尊厳ある現代の人間社会の基本ルールは、「give & take 」だと私は強く思っています。

    それでは give とは何なのか? 

    会社と個人と別々に考えてみます。

    まずは、会社での労働・知恵の提供がgiveだとすると、takeが給料です。

    しかも take(給料)は、会社内の分配ですから、それなりの個人差がでます。

    資本主義社会では、優れた製品や知恵の提供には、優位な利益が手に入れられる仕組みになっています。

    その会社利益は個人の能力より、所属した組織の優劣により、違ってきます。

    強い力のある会社は利益が出るし、結果として社員の takeも恩恵を受けます。

    現在65歳以上の団塊の世代は、年金の積み立てを負担する階層が充分にいたので、

    日本経済が発展する中で、高齢化が急速に進み、

    年金の仕組みが、これ程までに悪化するとは想像していませんでした。

    それに比べて、今、日本を背負っている40代、50代の壮年層は、

    昔と同じように働いている(give)のに、きっと今より受給額は減額されているでしょう。

    このような不公平な差が出てしまうのを、政治が悪いと簡単に決めつけるのではなく、

    団塊の世代も、「身を削られる」負担をするような、思い切った大改革が必要と思うのですが…。

     

    日本の産業構造はピラミッド式なので、中小企業の受益配分額は、

    系列順位、つまり子会社、孫会社、ひ孫会社になるにつれ、

    労働力の give から得られる take が階層が下るにつれて当然のごとく減額されてきます。

    一般的中小企業の経営は殆どが赤字か黒字かのすれすれの線で経営しているのが実態なので、

    take(給料)が、少なくなってしまいます。

    give  & take 」のtake (給料)は個人の能力より、所属する組織の能力が優先してしまうのです。

     

    改めて、個人としての立場で考え直してみます。

    豊かになった高齢化福祉社会では、give の提供なしで生きられるので、

    生きるための「give &  take」思考は必要なくなってしまいました。

    give無しのtake 社会に変貌してしまったのです。

    さらに、政治の仕組みがそれを一層悪化させています。

    収支が伴わない赤字国債を発行してまで、餌(ばらまき福祉)をちらつかせての票集めです。

    国民が身の丈以上の保障を求めている以上、解決策は見当たりません。

    Take take社会(呉れ、呉れ社会)も、Givegive社会も破綻の道です。

    残された道は、バランスのとれた「give &  take」社会の構築だと私は思います。