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    ソチオリンピック(2) no.90[2014-04-07]

    投稿日:2014年4月4日

    オリンピックが終わってみると、あたかも花火大会のように熱気が一気に覚めてしまった様相です。

    オリンピック金メダル取得は、国威高揚を目的としたプロジェクトだということが、現実の世界です。

    獲得の為なら、陰謀・策略が当たり前の世界なようです。

    夜間に女性が独り歩きできる国は、世界で日本だけなのと同じように、

    スポーツの世界が公平で中立であると信じているのは、

    もしかして私達日本人だけのなのではないか、という気がしています。

    下町のボブスレー(外国製)、浅田真央選手(ロシアでの前日練習でスケート靴の刃がこぼれてしまった噂)、

    高梨沙織選手(金具の状態が合わない等)に少しだけ首をかしげてしまいました。

    上述二選手は金メダル以上の日本国の「お宝」であり、大切にしてあげたいものです。

     

    ★竹内智香

    美人メダリストとして一躍時の人となった竹内智香選手。

    彼女は海外の強豪国でもまれることを考え、チームに入れてくれるよう交渉しましたが、

    前後では首を縦に振ってくれる国はありませんでした。

    それでもあきらめず続けることで、

    世界最高峰のスイスチームから「夏の」トレーニングであれば同行してもよい。と言う許可をもらいます。

    たった二カ月の同行です。

    この期間に竹内選手はチームに必要とされる選手になる事を決め、

    んな苦しい状況でも明るく振舞い、チームを盛り上げたそうです。

    はじめは二カ月と言う約束のスポット参加だったはずのチームとの帯同は、

    活動拠点に変わり、今ではドイツ語も堪能だと言うことです。

    竹内選手の特筆すべき点は、素晴らしさ環境づくりだけでなく、

    道具の改善(競争国には最高の道具教えてくれない)に挑戦したことです。

    スイスに拠点をおくスノーボードメーカーに女性用設計担当として参画し、

    独自のボードを帰国して完成させたことです。物づくり日本の真価発露です。

     

    [第二幕]対照的な選手とコーチの関係(三例)

    ★平野 歩夢、平岡 卓

    両選手のコーチは、前回のバンクーバーオリンピックで

    「反省してま~す。」と言う態度でひどくバッシングされた国母和宏さんでした。

    あの不良っぽい青年が、両選手から絶大な信頼を得ているとは、

    老人層の私には驚きでしたし、時代の要請なのでしょう。

    全ての指導層に青年層を組み込む必要がありそうです。

     

    ★渡部 暁斗
    かつて日本は複合ニッポンと呼ばれていた時代がありました。

    もう20年も前になるリレハンメル五輪の時です。

    今回ソチではワールドカップでは3連覇しながらも、

    オリンピックの個人種目ではメダルに手が届かなかっ

    荻原健司さんが指導した渡部暁斗選手が見事、銀メダルを獲得しました。

    荻原さんたちが勝利を重ねていた20年前はジャンプの比重(ポイント)が多く、

    日本勢はジャンプで稼いで、クロスカントリーで逃げ切る。と言う作戦でした。

    ところがルール改正があり、ジャンプの比重が低くなった後、体力的に劣る日本勢に冬の時代が到来したのです。

    そんな苦境を、「世界一」を目指す渡部暁斗選手は切り開いてきました。

    近年では、努力が実り著しい成長を遂げ、安定した飛躍で常に上位に入るようになりました。

    日本の弱点ともいえる、後半のクロスカントリーでも強さを増したのは、

    コーチと渡辺選手の独自走法によるものでしょう。

    銀メダルを獲得した際、テレビで解説をしていた荻原次晴さんが

    「期待されながら、本当に苦しかったんです。メダル獲れなかったんです」

    と人目をはばからず号泣するのを見て、選手やコーチ、それを取り巻く人達が一丸となって取り組んだ結果、

    輝かしい成果を手にしたことに、胸が熱くなりました。

     

    ★スキージャンプ団体

    実はスキージャンプ陣は満身創痍の状態でした。

    各選手がシーズン当初より調子を落としていたことに加え、

    竹内選手は「チャーグ・ストラウス症候群」(アレルギー性肉芽腫性血管炎)と言う難病を患っており、

    伊東選手は9日のノーマルヒルで、足を痛めてしまっており、自分でブーツも脱げないほどでした。

    選手はメダルのプレッシャーがかかる中、お互いがお互いを思いやる気持ちを忘れず、

    トップバッターの清水選手に他の選手たちに「失敗してもいいから思い切り飛んで来い」と声をかけ、

    気持ちを楽にしてあげたそうです。

    また、伊東選手、竹内選手、清水選手の3人は、葛西選手が4番手にいることが心強かったそうです。

    自分たちがメダル圏内に踏みとどまるジャンプをしておけば、

    あとは葛西選手が何とかしてくれると信頼していたからです。

    結果、葛西選手は134mを飛んで日本の3位が確定。

    3人は葛西選手に駆け寄って抱きつきました。

    銀メダルを獲得した際も「金をとるまでやります」と笑顔で仰天発言をした葛西選手でしたが

    「みんなの気持ちを考えたら涙を抑えられなかった」と大粒の涙を流します。

    みんなが相手のことを思い、信頼する。

    そして自分は自分のできることを精一杯やる。

    仲間との絆の強さがメダル獲得と言う最高の結果を手にしたのです。