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    流浪の旅を終えて

    投稿日:2013年6月7日

    今回はなんといってもバンクーバー五輪大会の感想を残します。

    モーグルの国母選手が気になってなりません。現地でのマスコミ前評判では銀メダルが確実という報道だったのに、出発間際の態度が悪いとマスコミに叩かれてしまいました。善戦空しくというか、やっぱりというかメダルを逃してしまいました。国母選手にとっては大きな経験(金メダル以上の)をした訳ですので、本人が今後の生きざまを通してオリンピック出場選手のガンバリヤの証明をしてくれるものと期待しています。

    マスコミを始め成熟した支配層の方々は若者を育てる大きな気持ちをもって貰いたいと常日頃願っています。服装でのマナーとか規律は理解できますが、逆の意味で同一人間になってしまう恐ろしさを感じています。すべてにおいてとりあえずは大目にみるという心の豊かさが大切ではないでしょうか。

    この年になって、改めて今回程オリンピック競技のルールの素晴らしさに感心させられました。スポーツ競技は殆どが優勝をトップに掲げて競い合うのですが、オリンピック競技は優賞者ではなく、金・銀・銅に加えて八位までを入賞者として世界中からその成果に対して称賛してくれることです。浅田真央選手を中心として女子フィギィア陣の活躍は素晴らしいものでしたが、その中で八位入賞した選手が悔し涙ではなく、喜びの涙をながしながら「今回は自分の持てる力を出し切ることができ、その結果としてこのような素晴らしい舞台で入賞することができました。沢山の方々から応援して頂いたおかげです」

    世界の中で自分の技能を磨き、その結果が評価されるのですが、あくまで原点は自己研鑽の評価であって、勝ち負けの評価ではないということです。マスコミは「限りなく金に近い銀」という造語よりも、銀の大きな価値を称えて欲しいものです。

    話が飛びますが、来年に迎える古希を前にしての思い出です。

    私は昭和16年に鶴見(横浜市下末吉町/今の三つ池公園の近く)に生れ、府中(東芝府中工場の社宅)、鶴見(父が東芝を退職)に戻り、事業を始めて多摩川田園調布に三回目の移転です。高校2年の時に事業が破綻してしまい、自宅等全てを手放し流浪の旅が始まりました。代々木、国立、そして就職して札幌の独身寮、北30条、社宅(藻岩山)、横浜の藤が丘にあった家族寮と9回目の移転でした。29歳で退職し、千代田第一工業に入社してから神奈川県葉山町の三が丘、一色、稲城市矢野口、東長沼でやっと中古の家が買えました。45歳の時です。13回目の移転でした。約30年に亘った流浪の旅に終止符をやっと打てたのです。振り返りますと四年半毎に移転していた計算になります。それから30年近く今の稲城市に住み、狛江市には40年の長い時間を過ごしました。私にとってユダヤ民族が流浪の歴史から安住の地イスラエルに辿り着いての安息の気持ちが理解できる心況なのです。

    来年の五月には古希を迎える年になってしまいました。そろそろ経営の第一線から退く時期がやって来たと思っています。最後となる移転先に狛江市を選び三月一日に稲城市より転入しました。狛江市民になっての人生再出発です。